死んだ子の年を数える

8歳のころから死にたい、15歳からひきこもり、現在30年経過。

掃除機の掃除、心の掃除、歯の掃除。掃除は底辺の仕事か?

今週のお題「最近洗ったもの」

 コロナが流行って外出自粛。心の掃除は当分できない。

 歯の掃除は歯医者にやってもらった。混合診療で4500円。歯科医という高度な技術職を1時間近く拘束して4500円で元がとれるのだろうか?

 掃除のしごとをしていたとき、掃除機の掃除をした。掃除機の紙パックの中身をゴミ箱に捨てて再利用してくれといわれたからだ。はじめての話ではない。研修でも「その家のやり方があるからその家のやり方にあわせろ」といわれる。この掃除機の掃除は地獄だ。まず何が入っているかわからない。食べ物やらまだ動く虫やらなんでも出てくる。そして細かいほこりが散るからマスクが必須だ。マスクをしていれば目がかゆくなる程度だからいい。マスクを忘れると半日ちかく咳き込む。

 この中に医療廃棄物、つまり覚せい剤を打った後の注射針やメンヘラが瀉血をしたときの血しぶき、5MEOやTHCOといった合法覚せい剤が入っていたときは黙ってやるしかない。1万円札が入っていたら大変だ、泥棒とみなされるところだ。小銭が入っていることはあまり珍しくない。

 こんなときはあえて食器洗い用の手袋を使う、なんてことはしない。単にクビにされるだけである。「お前のかわりはいくらでも発注できる。」

 看護師が死体をただの肉片と感じるように、医師が患者を牧畜と思うように、利用者は掃除人を掃除機としか思わない。

 かつて、白人貴族の女性は有色人種の雄の使用人が部屋にいても平気で着替えていた。今の制度もあまりかわらない。底辺の仕事は仕事として扱われるだけマシだ。掃除人を掃除機や掃除道具と同様に扱い、値段を天秤にかけ安いほうが選ばれただけにすぎない。1袋数十円の掃除機のパックより私の10分間の作業代の方が安かったというだけのことだ。社員いわく、掃除機があるだけありがたい家だと。